四端七情と、風林火山

ひょっとして、武田信玄は、李退渓(イテゲ)先生の「四端七情 理気論」を、知っていたのではないか?
(武田信玄は、李退渓(イテゲ)先生より、20歳くらい年下で、時間的には、可能。
でも、思想は、伝播に、多少の紆余曲折があるのが普通だから無理っぽい。
だけど、李退渓(イテゲ)先生以前の儒学なら可能性がある。
当時の武士の情報収集力は相当のものだったはずだ。)


武田信玄の伝記を読めば読むほど、武田信玄が、朝鮮儒学を知り、自家薬籠中のものにして、実践していた様に、思われる。

特に、有名な風林火山は、武田信玄なりの、「四端七情」の、兵法への翻案ではないのか?

四端の平安の心のとき、林山のように静かで動かず、七情の激情の心のとき、風火のように迅く熱い。
李退渓(イテゲ)先生の「四端七情 理気論」は、兵法論としても、立派に通用する。
だからこそ、朝鮮儒学は、全国諸藩の武士の子弟のための藩学として、採用された。


昨近、韓国のスポーツ選手が、世界を驚かせるほど、精神的に、強いのも、
李退渓(イテゲ)先生と、李栗谷 (イユルゴック)先生の「四端七情 理気論」と、
心の中での理(平安の心)と気(激情の心)の出し入れについて200年間、徹底的に、追求した、ご先祖様の議論のお陰かもしれない。


韓国のスポーツ選手のみなさん、1000ウォン札と5000ウォン札は、大事に、扱いましょう。

山本七平の武田信玄論―乱世の帝王学 (角川oneテーマ21)

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武田信玄は、相当の教養人だったようである。
信長のような激情家じゃなく、信玄のような人格者が、天下を制覇していれば、日本歴史は、もうすこし、心温まる、お話になっていただろうに。
兵学と朱子学・蘭学・国学 (平凡社選書)

兵学と朱子学・蘭学・国学 (平凡社選書)

この本は、江戸時代の学問は、武士である以上、兵学が中心であったとの立場をとっているが、かならずしも、そうとは、限らないとおもう。
武士だからこそ、自分に、精神性が足りないことを自覚して、真剣に、座学に向かった、武士の子弟も多かったのではないか?