中国の立場にたって考えてみましょう。

本来、政府、マスコミ、識者が、すべきことだが、だれもしないので、ヘタクソながら、僕がします。
アベコベみたい。
まあ、政府、マスコミ、識者が、金とコネで、地位を必死に、築く間、
僕は、全世界の言語を学び、必死に、世界と日本の運命を考えてきたので、当然といえば、当然なのだが。
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中国の孤独の深さは、測り知れない。
北京が、列強の軍隊+インド、日本に蹂躙される屈辱から、一世紀余り、
ついに、世界に一流国と、認定される間際にきている。

しかし、中国の勃興に対する、全世界のバックラッシュの激しさは、予想を、超えたものだった。
衝撃的だったのは、世界の反動軍国主義勢力のみならず、
リベラル人権派勢力も、反中国の旗を揚げ、デモの先頭にたっていることである。


共産主義に敵意をもつ、ありとあらゆる宗教勢力もまた、布教と称して、無遠慮に入ってくる。


さらに、国内人民の共産党政府に対する、反発や、阿諛や、裏切りも、はるかに予想を超えていた。


結果、対策に追われるあまり、過剰対策となり、更に、世界から非難されるという
悪循環に、しばしば、陥った。


余りにも多くの外憂内患を抱え、
中央政府は、更なる高い目標に向かって航海を続けることより、
座礁して船が壊れる心配を、しなくてはならないように、なりつつある。


中国が統一を保つためには、伝統的な価値に戻らなければならない。
それは、儒教道教、(仏教)である。
国民はひとつの家族だと宣伝して、血縁を絶対視する
儒教的責務による国民の統一を示唆する。
他方、すべてのしがらみを忘れて自然に遊ぶ、道教の情緒的な世界に、歌舞など大衆芸能で浸らせる。

この両面作戦で、現政府は、国民に統一感を持たせ、国難を乗りきろうとしている。


問題は少数民族だ。彼らの多くは、儒教的価値観も、道教的価値観も、共有しない。


対して、朝鮮、韓国、日本は、儒教的価値観も、道教的価値観も、しっかり、共有している。


特に、朝鮮、韓国は、儒教的価値観に関しては、中国を上回る原理主義者だ。
韓国が、中国と、国交を回復していらい、中国は、朝鮮半島の確執をまったく心配してしないだろう。


また、日本は、李白杜甫漢詩の愛好でわかるように、道教的価値観への憧れがつよい。
日本の童謡は、その延長上にある。
前に述べたように、日本の教育は、朝鮮儒教の影響下にある。
(2010-07-20■理の李退渓(イテゲ) 気の李栗谷 (イユルゴック)参照)
さらに、日本語は、漢字を多用する、準中国語であり、
本来、もっとも困難な、異邦人による漢字抽象概念の形成は、
ネイティブの中国人と全く変わらない。


以上のことから、東西南北の外患のなかでも、東方は、ほっとできる方向なのである。
逆に、それが、東方、特に、日本に対する甘えにつながる。
ちょっとぐらい、叱り付けて、威圧しても、対話のパイプは、いくらでもあるという、
火遊びを楽しんでいるような状態なのだろう。


いま、中国のTVを、みているが、また、ロケットの発射で、盛り上がっている。
国際ニュースも、対米、対ロ、対イランなどが主だ。
もう、火遊びに、飽きちゃった?


中国の火遊びに付きあわされるのは、ウンザリだが、
また、中国の悪い癖がでたと、諦めて、いなすしかない。
中国が、困ったときを見計らって、
むかしの火遊びをネチネチととがめて、謝らせるのが上策だろう。


さらに上級を目指すなら、いまの少なからぬ中国人が、ぼんやりと
考えていること。
中国人が目指すべき理想の中国は、今の日本が実現している、
という仮説を、ちらちら、くすぐってやることである。
例えば、中国人が絶対の美徳と考がえる寛大を、
日本の首脳が中国に対して示すことにより、
さらに、日本は、後光がさしてみえるだろう。