エリートに憧れて、裏切られて

日本人は、いつまでも、初心な娘気分が抜けず、
勝手に、若いカッコ良いエリートを、完璧な存在として、憧れ、崇拝する。


戦前は、海軍兵学校や、陸軍士官学校の生徒、
特に、予科練を、至上のエリートとして、恋焦がれた。
いまでも、宝塚の男役は、よく、そのような青年将校を演じる。
もし、五体壮健ならば、そのようなエリートになれるはずだった三島由紀夫が、
戦後に、体を鍛えて、遅ればせながら、追体験したほどである。


終戦後、化けの皮が剥がれ、
彼らが、出世して、いかに、自分勝手に振舞ったかが、あきらかになった。
沖縄に自決を怒号しながら、みずからは、さっさと、退散したのも彼等である。


戦後65年たったいまも、
軍エリートの無能と腐敗を暴く、左翼的で実証的な著作、情報と、
軍エリートが、憂国の念に燃えていたと感涙する、右翼的で浪漫的な著作、情報が、
真っ向から、対立している。
しかし、特攻をしたのは、彼らではなく、学徒出陣した、素人だった。
職業軍人たる彼らは、訓示を垂れ、自己は生き残った。


戦後は、職業軍人から、職業医師に、憧れの対象は移った。
マスコミや、公機関は、決して、彼らを、正面から、批判しない。
つねに、職業医師を、若いカッコ良いエリート、完璧な存在として、憧れ、崇拝する。


ついに、彼等が、自己のエゴのために、生体解剖を、実行するようになっても。
日本人は、初心な娘のように、自分を生体解剖しようとする医師に、憧れるのだ。