日本の教育

日本の教育は、意外と、地方色が、強い。東京の、大学教授あたり、そのことを、身をもって、感じているとおもう。
警察のトップが、中央からの任命なのに対して、教育のトップは、地方閥の首領が、なる。選挙の洗礼もないので、よくも、悪くも、継続性(停滞性)が、出る。
基本は、神道が主、李退渓から、江戸の儒学者によって、輸入された、仁義礼智の朝鮮儒学が従である。一部都会では、アメリカ帰りの先生によって、プラグマチズムの風がふいていることもある。
私学では、仏教、カトリックプロテスタント新興宗教等が設立した学校があるが、濃淡の差はあるが、みな、日常は神道儒教の基本は守っている。


神道は清浄・汚穢を、基本とする。日本の学校は、みな神社のように、清浄に保たれている。生徒、学生は、氏子、巫女のように学校の清浄に奉仕する。
いじめは、清浄な生徒が、汚穢な生徒を、迫害する。むしろ神道の氏子としての勤めなので、決して、減らない。
公教育が、神道を否定することは決してないので、儒教のブレーキでは、足りないだろう。
清浄と汚穢の立場は簡単に逆転するので、仁義なき戦いは、公教育において、終わりなく、繰り返される。

最終的に、公は、教育から、総撤退する日が、来るかもしれない。