罪の自意識があるときに、誇りの自意識はなく、誇りの自意識があるときに、罪の自意識はない。

罪の自意識が強い人は、誇りの自意識は弱く、誇りの自意識が強い人は、罪の自意識は弱い。
罪の自意識が強い人は、恐怖にふるえ(真面目)、誇りの自意識が強い人は、良く笑う(快活)。
罪の自意識が強い人々は、誇りの自意識は弱く、誇りの自意識が強い人々は、罪の自意識は弱い。


ユダヤ人は、前者の代表であり、日本人は、後者の代表である。(もちろん、フラクタル構造になっている)


全世界全人類が誇りのバブルにある、21世紀初頭の今、ユダヤ人権力者は、再び、誇り列車に乗り遅れまいと、必死に、全国民に、国旗国歌を、強制する。


日本国内では、各県別に、更に、誇りの最高決定戦を、戦っている。


現在、有利に、戦いを進めているのは福島で、自県が、どんなに不祥事を起こしても決して謝罪しないという信念を全県民一丸となって貫いている。
謝罪さえ、しなければ、福島県民は、全知全能の神の様に、徹底的に、唯我独尊に、振舞えるのだ。
少しでも、罪の意識と言う、弱味を、見せた、他者を、地獄の淵に、叩き込んでも。


関西では、比較的、誇りの意識の低い大阪の意識を変えて、今度こそ、誇り列車に一番乗りするぞと、知事さんが、吼えている。