ユダヤの歴史と日本の未来史1

笑えばイメージが浮かび、泣けば消える。
恐怖を感じればアイディアが閃き、怒れば消える。


誰も、そうやって、蒐集した、イメージとアイディアを組み合わせて、超現実を脳内につくり、その超現実のなかで暮らしている。


超現実は、子供の頃に、ほとんど、完成し、大人になってからは、その記憶のイメージを、何度も、凝視し、その記憶の人生訓(アイディア)の声を、何度も、聞きながら、生きていく。


しかし、人間が相互コミュニケーションをして、社会を形成するとき、イメージとアイディアは、同等に用いられず、それぞれの社会、集合体で、何らかの、偏差が、できることが多い。


エジプトを中心とする、古代中東においては、もともと、アイディアを尊重し、イメージを排除する傾向が強かった、
特に、三千年くらい前の古代ユダヤにおいて、決定的にイメージを排除する一種の粛清運動が起きた。


十戒のなかの偶像崇拝禁止である。これを厳密に解釈すると、眼に映るすべての魅力的なものは、忌まわしいものとして禁忌(タブー)とされる。
笑顔、特に、女性の笑顔、そして、女性全体の魅力的なスタイルが、その最たるものとされた.


モーゼによって、十戒が宣布されたのが、推定BC10世紀、その後、500年近くして、ユダヤ民族は、バビロンに捕囚された。
保守派は、その原因を、偶像崇拝禁止を破り、女性のイメージに溺れた民の堕落によると、非難した。
化粧し、着飾った娘達は、邪まな誘惑者として、避けられ、つばを吐きかけられた。


その後、二千数百年、十戒(偶像崇拝禁止)遵守の正統派と反発の改革派が、内争いしながら、どのような想像を絶する歴史を描いてきたのか、僕らは、知っている。




中華を中心とする、中世極東においては、逆に、イメージを尊重し、アイディアを排除する傾向が強かった。


特に、江戸日本において起こった、本居宣長などによる、尊皇運動は、一切のアイディア(思想)を捨てることを、本義とするようになった。
尊皇運動は、庶民啓発運動として、けっして、無用の思想(アイディア)に、心を奪われず、自分の分を守って、自分の心に抱いた良いイメージだけを、しっかり守って生きなさい、と、教えた。
特に、女性は、男の思想に溺れて、恋に落ちる。この事を、強く戒めた。



やがて、自分の思想(アイディア)を、主張する、男性の声が、静謐な日本の空気を乱し、婦女子を惑わすとして、忌避されるようになった。
小思想=理屈を言うな、が、子供を、日本社会のなかで、まっとうに育てるための、家庭教育の基本になった。


時は流れ、500年近くたって、国難が迫ったとき、若き憂国派軍人は、決起し、いつまでも思想(アイディア)を、ぐだぐだといい続ける老人政治家たちを粛清して、思想排除の日本の国体本来の姿を、明らかにした。
1941年、実権を握った思想排除の行動至上主義者(統制派軍人)達によって、真珠湾攻撃は、決行された。


敗戦により、米国思想(デモクラシー)のみ、建前として、公認されたが、思想(アイディア)排除者が、実権を握るという、日本社会の基本構造はビクともしなかった。



現在も、思想(アイディア)排除の保守派と、思想(アイディア)を捨てきれずに反発する改革派の内争いは続いている。



古代ユダヤ現代日本の比較により、これから、数千年、両者が内争いしながら、日本が、どのような想像を絶する未来を歩むことになるのか、おぼろげにでも、予想することができる。



古代ユダヤ現代日本の違いはある。
我々は、ユダヤの歴史を知っている。そして、この文がある。日本の未来を予測して、対策を立てることが出来るかもしれない。



ただし、光と音が、対照でないように、イメージとアイディアは、対照でない。さらに、謎は深い。