簡単な宗教比較

初対面のひとと、心を開いて、対話をする事が、宗教の基本である。
イスラム教が、もっとも、標準的で、おおむね、信者どうし、初対面のひとと、心を開いて、対話をする事が、実現されている。
キリスト教は、日曜日に、教会のなかで、という、時空を限定して、信者どうし、初対面のひとと、心を開いて、対話をする事が、実現されている。
ユダヤ教も、信者どうし、初対面のひとと、心を開いて、対話をする事が、実現されている。しかし、長い苦難の星霜の日々を経て、異教徒の、初対面のひとと、心を開いて、対話をしてきた結果、ユダヤ教徒は、殺されつづけた。今、敬虔なユダヤ教徒は、それでも、自分の命の安全より、異教徒の、初対面のひとと、心を開いて、対話をする事を、優先する。さすがに、世俗派は、猛反発し、混乱が続いている。
ヒンズー教は、生まれつき同じカーストの者どうしのみ、初対面でも、心を開いて、対話をする。
上座部仏教は、出家した者どうしは、初対面のひとと、心を開いて、対話をする。大乗仏教は、出家にかかわらず、教祖は、初対面のひとと、心を開いて、対話をする。しかし、いずれも、信者同士が、初対面のひとと、心を開いて、対話をする事は、原則としてない。
儒教は、血縁の者どうし、心を開いて、対話をする。
神道は、祈祷のとき、自分が、初対面のひとと、心を開いて、対話をすることもできる、純粋な心の持ち主であることを、確認する。実行する事は、まずない。