生物としてみた人の一生

笑えば、イメージが広がり、泣けば消える。恐怖を感じれば、アイディアが浮かび、怒れば消える。この2つの情動の波を、交互に繰り返しながら、人は、観念的な超現実世界を、脳内につくっていき、やがて、この観念的な超現実世界という小部屋に閉じこもったまま一生を終える。
日本では、軽く恐怖を感じている状態を、真面目という。
両者の形成は対照的ではない。仮に量的に測定できたとしたら、前者が圧倒的に多いだろう。

赤ちゃんは泣いて生まれてくる。母胎のなかでずっと笑っていたのが、出産によって、中断され泣き出す。その後も、ずっと笑い泣きをを繰り返す。五感で、感知したものを、脳は、そのまま、快、不快のイメージで、受容し、笑い泣きで反応する。
やがて、ほんのわずか、恐怖の情動、つまり、真面目な表情が、表れる。このとき、言語の習得が、始まる。一連の単語を並べて、アイディアを作る。すぐに、怒って、その言葉を、みずから、否定する。
このとき、すでに、男女差が、あらわれ、個人差があらわれる。後者の傾向が強い子と弱い子の差があらわれてくる。
男女差が決定的になるのは、思春期を迎えてからだろう、男性は圧倒的に後者の傾向が強くなる。恐怖と怒りの激動のなかで、人格が変わったようになってしまう。
女性は、はるかに、弱い。大多数は、何も変わらず、笑い泣きの青春を過ごす。
また、同じ場所にいる、男女の情動の波が、ずれ始め、やがて、正反対になってしまう。
男性が恐怖を感じているとき、女性は、笑っているのが、通常になる。
また、まれに、男性が笑っているのに、女性が恐怖をかんじている(真面目な顔をしている)という、瞬間が、訪れることがある。この、瞬間、男性は女性に魅力を感じ、女性は男性に魅力を感じ、恋愛が成立する。恋愛が、天与の奇跡の一瞬のように、思われるゆえんである。
また、恐怖の情動から、怒りをへて、笑いの情動に再び戻るとき、イメージは、最高から最低まで無限の階段に分かれて見える。このとき、金銭感覚が、生まれる。金銭感覚が、多く、恋の駆け引きのために使われる以上、経済の営みが、全くの不経済的に思われるのは、当然かもしれない。