神学論争としての天皇陛下

天皇陛下とは、どのような神であられるのか?どのような神であられるべきなのか? 多くのひとが、自分の思いを述べている。
天子様と呼び、光り輝く天上人と考える人がいる。東北に多い。
白馬に乗り、軍を閲兵する将軍をイメージする人がいる。東京に多い。江戸城天皇が住んでいる以上、彼らにとって、名は天皇でも、実は将軍なのである。かれらのなかから、そのうち、暴れん坊天皇待望論など、出てきそうである。
もっとも日本で由緒ある家柄の当主と認識する人がいる。京都に多い。戦後憲法の日本統合の文化的象徴という定義は、このあたりから出ている。それで、日本人の相当数が、特に違和感なくこの定義を受け入れている。
五穀豊穣を司る天照大神への祭祀を執り行なう神主、つまり、神道という宗教において、民を代表して神への仲介をする半神的存在として敬うひとたちがいる。農村漁村におおい。天皇の公務の多くは、この天皇像から作られている。
公務を、国の公務と解し、最高位の公務員とみなす人たちがいる。左翼リベラル系の人に多い。政治家や側近など、日常、天皇を身近に見ている人にも多そうである。
日本=元首=天皇の意思決定を自明として、革新系の人で、天皇の戦争責任を追求し、保守系の人で、天皇を諸外国に対する、日本の正当性の根源とみる人は多い。
古文書を読み解き、地名風習の由来を推定し、天皇が、古代百済王朝が日本に亡命した王統の末裔であると論じる官民の学者たちがいる。現天皇がいかに振舞うべきかということには立ち入らない事が多いが、日韓友好につくすべきだという論に、踏み込むこともある。
在韓の学者が、古代百済王朝が日本に亡命した王統の末裔であると論じることもある。そんな自明のことを、なぜ日本人は、認めないのだという口調になることもある。
日韓友好のみならず、世界友好のシンボルとして、唯一無比の存在と、かんじるひとたちがいる。
この役割に関する公務も多い。
もっとも魅力的な有名人、アイドル、タレントとして、天皇一家に、あこがれる人たちがいる。女性週刊誌に、夢中になるような人たちである。昭和天皇を、日本のチャップリンとして、愛した人たちがいた。しかし、今上天皇を、一人の人間として、いつも関心をもって見続け、心配し、愛し続けているのは、このような人たちだけである。
さらに、政治家や財界人への、嫌悪、反発から、天皇こそ、直訴すれば普通の人の苦しみをわかってくれる人間らしさを失わない人だと、思いつめている人がいる。2・26事件の将校達も、この感覚があった。ローマ法王や、イエス・キリストのイメージが、重なることもある。
それぞれが、他のイメージなど、議論する価値もないと排斥しながら、自らの思いを、独白し続けている。
当然、各派の女系天皇への感覚も、大きく異なる。

太陽 [DVD]

太陽 [DVD]

戦時の極限状況、そして、終戦勅諭の世代は、この映画をどうみるのだろう。