パセ格差に思うこと

ひょっとして、今、現役のプロ野球選手の多くは、友達同士で、勝手にする、いわゆる草野球を、した事が、ないのでは?
初めから、監督のいる、リトル・リーグか何かに参加して、一斉に並んで声だしをしたり、監督の説教を聞いて、監督のサイン通り、キチンとバントしたり盗塁したりできる、野球優等生ばかりの出世頭なのでは?
つまり、彼らは、自分の楽しみで、自分の判断でする野球を、した事がないのでは?
そして、彼らもまた、多くの同世代と同じく、場の空気を読み、場違いにならないように、気をつかって、プレーしているのでは?

そのような彼らが、プロに入団したとき、セとパは、空気が違い、して良いこと、悪いことが、かなりちがうことを、敏感に感じ、それに自分を合わせているのでは?いや、合わせることができる者だけが、レギュラーとして定着しているのでは?

セは、大都会の有閑層を観衆とするショーの傾向が、顕著である。マスコミで、選手のカリスマ性、タレント性が、強調されることが多い。ショー独特のお約束も多そうである。

パは、地方中核都市の中間層から下を、ファン層とする。地方ナショナリズムをあおる傾向が強い。つねに、仁義なき戦いになる危険が高い。個人を使い捨てにしても、勝利至上主義と、なりがちである。
 
この両者が、対戦した時、セは、せっかく、自分たちが作ってきた品位ある野球をよごされたように感じ、パは、格好ばかりつける相手に対し、押せ押せムードになるのでは?

いずれにしても、同じ日本で、たったこの位のちっぽけな問題を解決できないようでは、プロ野球の未来はない。