暴力による絶対支配>金銭による相対支配>言葉による相対寛容>絶対寛容

暴力による絶対支配は、時間と敵対している。誰も、無限に、暴力を、続けることはできない。
彼は、言葉と、少し、妥協して、暴力を、金銭に、変える。
そして、暴力的支配の時間的延長をはかる。
しかし、言葉と、妥協したことで、暴力という、砂上の楼閣は、次第に、崩れ始める。


絶対寛容は空間の脅威に常に曝されている。誰も、限度なく、絶対寛容を、続けることはできない。
彼は、金銭と、少し、妥協して、絶対寛容を、言葉に、変える。
そして、絶対寛容の空間的拡張をはかる。
しかし、金銭と、妥協したことで、絶対寛容という、ユートピアの宮殿は、次第に、束縛の牢獄に変化し始める。


中庸を生きる大衆にとって、暴力は、起こった瞬間から忘れ去られていく、忌まわしい
過去に過ぎない。
中庸を生きる大衆にとって、絶対寛容は、限定された空間の極私的な営みに過ぎない。
そして、あるときは、言葉を、金銭に変え、言葉による相対寛容から、金銭による相対支配へと、立場を変える。
また、あるときは、金銭を、言葉に変え、金銭による相対支配から、言葉による相対寛容ヘと、立場を変える。
そのようにして、中庸を生きる大衆は、交互に顕れる、生ぬるい現実を、ふらふらといき続ける。