外国人監督の怪

日本で、もっとも、傲慢な人々は、プロアマ問わず、スポーツの監督と呼ばれる人たちかも知れない。
選手に、絶対服従を強いる監督は、珍しくない。
その選手が、一般生徒を、虐めたり、選手が、過重練習で、故障して、非行に走ったり、その弊害は甚大なのだが、誰も、その震源地の監督を批判することを、怖れてしない。
むしろ、練習法や説教、鉄拳制裁まで含めて、美談にしてしまうことが、多々ある。
そのような、傲慢な人間の集まりである、監督陣のなか、さらに、実績を積んだ、たった一人が、日本代表監督として、栄光と名誉を、手に入れることができる。
物凄い争奪戦だろうと思う。
なのに、どうして、国際大会で噂を聞いただけのよく知らない外国人に監督を要請するのだろうか?
野球もサッカーも国民的スポーツで、年中、数え切れない試合が行われ、選手のみならず、監督も切磋琢磨しているのではないか?
また、監督の多くは経済的にも余裕があり、外国に観戦に行くことも、インターネットやテレビなどで外国の試合を見て、研究することも十分にできるはずなのに。
なぜ、彼らは、内弁慶の外つぼみなのだろう。


もっとも、テレビで、プロ野球の試合を見ても、誰が、見ても、お馬鹿采配が、目に付くようになって久しい。