簡単な中東アラブ世界の理解

千年前の中東アラブ世界を中世日本にたとえると、エジプトのカイロが大坂、シリアのダマスカスが京、イラクバグダードが江戸、イエメンが九州というところか。


ただ、中世日本とことなり、中東アラブ世界は、その後、ペルシャ、トルコ、タタール、ヨーロッパなどの諸民族が入り乱れ、歴史の暴風雨のなかで、地域の一体感は失われてきた。


もし、アイヌが、征夷に耐えて、今も、東北、北海道で、コーカソイド(白人系)独立国として存在していたら、中東におけるペルシャのような存在になっていたかも知れない。


しかし、類似は、ここまでで、中世日本には、アラブに対する、北方トルコ、タタール、ヨーロッパの脅威に比べられるような、北方からの脅威は、元寇を例外として、ほとんど存在しなかった。


まして、次々と、異民族に征服され、現在まで完全には主権を回復できないアラブと、尚武の国として最盛時のモンゴルさえ撃退した日本とは、まったく異なった道を辿ってきた。


しかし、このような視点でみると、米軍による。1945年の東京占領と、2003年のバグダード占領の比較は興味深い。


どちらも、かつて、世界一の繁栄をした巨大都市であり、軍事恐怖独裁政治からの民衆の解放という似た状況にあったのだが、今のところ、戦後の軌跡は、かなり異なっているようである。