6・3・3制から1・1・2・2・3・3制へ(小学校の解体)

子供の時は、なるべく、沢山の人と知り合い、沢山の経験をしたほうがいい。そのたびに、人格が、深化し、成長していく。指導の連続性はあまり重要でない。
今は、原則、6年間、同じ小学校で、過ごすことにより、子供の好奇心をとめ、向上心を失くさせ、小さな人間関係のなかで、自分の立場を確保することばかり上手な、老成したシニカルな大人子供を、大量に生産している。
先生が悪いのではない。6年間、同じ場所で、教育指導要領という、終わりなく続く指導項目を、黒板とチョークで延々と教えるということが、そもそも、無理なことなのである。
小学校は、解体して、1期(小1)、2期(小2)、3期(小3,4)、4期(小5,6)に、四分割したほうがいい。
現行の小学校は、原則、3期、4期の生徒を、受け入れるようにする。すると、生徒数が2/3になり、1クラスの人数が2/3になる。
そして、1期、2期には、各市町村の認可制にして、民間からの参入を促す。
1期や2期のみの、1年間限定ならば、敷居もひくく、教員免許をもったひとが中心になって、私邸や、空き施設をつかった小規模の学校を作ることも、それほど難しくないのではないか?
そして、1年の計画を細かく決めることができ、教育指導要領を消化する技術も毎年、同じことを繰り返すなかで、早く、上達するのではないか?
また、余った時間で、その学校独自の特色を出すこともできるのでは?
また、小規模校が多くなるので、アットホームな雰囲気で、保護者との連絡も密となり、小一学校不適応問題も緩和されるのでは?
1年後、市町村で、簡単な到達度テストをして、合格すれば、卒業ということにしたらいい。
、1期(小1)、2期(小2)、3期(小3,4)、4期(小5,6)は、原則として、異なる学校に、行くこととする。
つまり、自宅から近くに、現行の小学校が2校あった場合、一方に3期、他方に4期に、いくことがふつうになる。
極論すれば、4つの学校を、保護者が自由にきめられるようにする。すると、たとえば、1期は、父の実家の北海道の祖父母に1年間預け、北海道の学校に通い、2期は、母の実家の沖縄の祖父母に預け、沖縄の学校に通い、3期は、米国にいる親類に預け、現地の日本人学校に通うというようなことも可能になって来る。子供が動き、親が動き、学校が活性化し、経済が活性化する。
もちろん、波及して、いろいろな需要が生まれ、雇用も増える。